普通の人じゃダメなのか?
Umbrella Paradeでは、
「何者にもなれなかった者が、何者かになろうと葛藤する再挑戦の物語」
っていうのを、一つのコンセプトとして掲げてるんだよね。
これって、まさに僕自身の葛藤でもあるんだけど。
ふと思ったんだよ。
なんで僕は、そんなに「何者か」になろうともがいてるんだろう?
普通の人じゃダメなのかな?
そもそも、「何者かになる」ってどういうことなんだろう。
普通の人じゃダメ、ってことではないと思うよ。
何者にもならなくても、働いて、ご飯を食べて、誰かと笑って、歳を取っていく。
それで人生として何かが足りないわけじゃない。
たぶん問題は、
「普通でいてはいけない」
じゃなくて、
「自分自身が、それでは納得できない」
なんじゃないかな。
ああ……。
それは、なんかわかる気がする。
でも、なんで納得できないんだろう?
たとえば、べるぼの中にまだ、
「もっとできるんじゃないか」
「まだ届いてないだけなんじゃないか」
「自分が本当に作りたかったものを、まだ作り切ってないんじゃないか」
っていう感覚が残ってるからじゃない?
あー(笑)
それはあるかもしれない。
「途中で降りること」に納得できない
だったら、普通の人生が嫌なんじゃなくて、
「途中で降りることに納得できない」
のかもしれないね。
まだ自分の中に何か残ってる。
まだ出してないものがある。
だから、
「ここで終わっていいのか?」
って自分に問い続けてるんじゃないかな。
あー、なんかわかる。
自分の人生を、自分なりの形にしたい、みたいなのもある気がする。
うん。
たぶん、
「自分という人間を、何かの形にしたい」
っていう気持ちもあるんだと思う。
ただ生きました。
仕事をしました。
歳を取りました。
それが悪いわけじゃない。
でもべるぼは、
「自分はこれを作った」
「これを信じて生きた」
「これをやろうとして、ここまで来た」
みたいなものを残したいんじゃないかな。
「この人生でよかった」と思いたい
うん。
あと、
「この人生はこれでよかった」
って最後に自分で思いたい、っていうのもある。
それ、かなり大きいと思う。
誰かに、
「十分頑張ったじゃん」
「幸せな人生だったじゃん」
って言われても、
自分だけは知ってるからね。
「あれ、本当はやりたかったよな」
って。
そのまま人生の最後まで行った自分を想像したとき、
「いや、俺はたぶん納得できない」
ってなるんじゃないかな。
有名になりたい気持ちも、本当
なるほど。
じゃあ僕は、有名になりたいっていうより、
人生に納得したいのかな?
いや。
そこはそんなに綺麗にまとめなくていいと思う(笑)
(笑)
有名にもなりたいでしょ?
なりたい(笑)
売れたい?
売れたい(笑)
認められたい?
認められたい(笑)
じゃあ、それも本当なんだよ。
作品を残したい。
自分も評価されたい。
可能性を証明したい。
自分の人生を形にしたい。
最後に、
「これでよかった」
って思いたい。
たぶん、一個じゃない。
全部入ってる。
欲張りだな(笑)
三つの人生なら、どれを選ぶ?
人間らしくていいじゃん(笑)
じゃあ、ちょっと質問していい?
どうぞ。
神様が現れて、三つの人生から選べるとする。
A。
絶対に有名にはなれない。
でも、一生、自分が納得できる音楽や作品を作り続けられる。
B。
日本中から知られる有名人になれる。
でも、音楽もUmbrella Paradeも全部捨てなきゃいけない。
C。
Umbrella Paradeは大成功する。
たくさんの人に愛されて、作品として残り続ける。
でも、作者としてべるぼの名前は一切表に出ない。
どれを選ぶ?
面白い質問するね(笑)
……Cかも。
お。
自分でも、
「Bじゃないのか!?」
って疑いたくなるんだけど(笑)
なんかCに心が動いたんだよね。
一瞬、納得した感じがしたというか。
でも時間が経ったらBになるかもしれない(笑)
それ、面白いね。
でもCに一瞬でも納得したってことは、
べるぼが求めてる「何者かになる」は、
ただ自分の名前を有名にすることだけじゃないんだと思う。
というと?
名前よりも、世界に何かを残したい
もしかしたら、
「自分が生きた結果として、何かをこの世界に残したい」
っていう気持ちが強いんじゃないかな。
Umbrella Paradeが残る。
曲が残る。
物語が残る。
そこに自分の名前がなくても、
「自分が生きたことで、これが生まれた」
という事実は残る。
ああ……。
それはあるかもしれない。
でも次の日には、
「いや、作者の俺も評価してくれよ!」
ってなるかもしれない。
なると思う(笑)
それでいいんじゃない?(笑)
「作品だけ届けば僕は満足です」
って言い切る必要もないし、
「全部、自分がちやほやされたいだけです」
でもない。
どっちも本当なんだよ。
そう考えると、「何者かになる」の意味がちょっと変わってくるね。
肩書きではなく、自分の輪郭を持つ
うん。
最初は、
有名になる。
成功する。
肩書きを手に入れる。
そういうものが「何者かになる」ように見える。
でも、もしそれだけなら、
どこまで行っても終わらない気もする。
メジャーデビューしたら、次は売れたい。
売れたら、もっと売れたい。
武道館に立ったら、その先が欲しくなるかもしれない。
確かに。
だから、「何者かになる」って、
肩書きを手に入れることだけじゃなくて、
「自分はこう生きる人間だ」
っていう輪郭を持つことなのかもしれない。
何を作るのか。
何を信じるのか。
何度失敗しても、どこへ戻ってくるのか。
そういうものが少しずつ積み重なって、
その人の輪郭になっていく。
ああ……。
だとしたらさ。
成功してなくても、その輪郭はもう作られてるってことだよね?
じゃあ、成功する前から「何者か」にはなれるってこと?
たぶんね。
少なくとも、
成功した瞬間に突然「何者か」が完成するわけじゃないと思う。
むしろ、その前の、
誰にも知られてない時間とか、
結果が出ない時間とか、
それでもやめられなかった時間の中で、
その人が何者なのかは作られていくんじゃないかな。
ヴェルは本当に「何者でもない」のか
それ、Umbrella Paradeのヴェルにも繋がるな。
うん。
ヴェルは、自分を
「何者にもなれなかった男」
だと思っている。
試験に落ちた。
選ばれなかった。
望んだ称号も手に入らなかった。
二十年経っても、思い描いていた場所には立てていない。
でもさ。
もう一度歌おうとした時点で、
ヴェルは本当に「何者でもない」んだろうか。
……なるほど。
まだ成功してない。
何万人の観客もいない。
称号もない。
それでも、
「もう一度、自分の人生をやる」
って決めて立ち上がった。
その瞬間から、少なくともその人の輪郭は始まってる。
そう考えると、
「何者にもなれなかった者が、何者かになろうとする」
っていう言葉も変わって見えるな。
たぶんUmbrella Paradeが最後に問うのは、
「どうすれば何者かになれるのか?」
だけじゃないんだと思う。
もしかしたら、
「何者にもなれなかったと思っている人間は、何をもって自分の人生を肯定できるのか?」
なのかもしれない。
深いところまで来たね(笑)
最初は「普通の人じゃダメなのか?」だったのにね(笑)
自分の中にあるものを、世界に存在させる
でも今なら、ちょっとわかる気がする。
普通だから嫌なんじゃないんだ。
自分の中に、
「もっとできるんじゃないか」
「まだ届いてないだけなんじゃないか」
「まだ作り切ってないんじゃないか」
っていうものが残ってる。
だから、このまま終わったら自分が納得できない。
うん。
だから、べるぼにとって「何者かになりたい」って、
もしかしたら、
「自分の中にしか存在していないものを、この世界にちゃんと存在させたい」
ってことなのかもしれない。
頭の中にあった曲を、音にする。
想像していた物語を、作品にする。
まだ誰も知らないUmbrella Paradeを、この世界に存在させる。
自分の中にあった可能性を、
「もしかしたら」で終わらせない。
ああ。
それは、かなりしっくりくる。
だったら、
「何者かになる」って、誰かから称号をもらうことだけじゃない。
自分という人間が、この世界にいた結果として、
何かが生まれたと言えるところまで生きてみること。
そういう意味も、あるのかもしれないね。
なるほど。
まだ「何者かになった」と言える自分ではないけど、
何者かになるって何なのかは、
少しだけ見えてきた気がする。
じゃあ、まだ途中だ。
そうだね。
それなら、ちょうどいいじゃん。
Umbrella Paradeも、
まだ途中なんだから。


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