諦めることは、負けることなんだろうか?――べるぼとアマモリで考えた「再挑戦」の話

諦めることは、負けること?―べるぼとアマモリの人生問答
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――べるぼとアマモリで考えた「再挑戦」の話

Umbrella Paradeには、

「何者にもなれなかった者が、何者かになろうと葛藤する再挑戦の物語」

というコンセプトがある。

42歳になったヴェルが、20年前に一度失敗した場所へ、もう一度向かっていく物語だ。

でも、その「再挑戦」という言葉について考えていたとき、ひとつ疑問が浮かんだ。

再挑戦を描くということは、

「諦めずに挑戦することが正しい」

と伝えることにもなるんだろうか。

でも、人生には諦めるという選択肢だってある。

だったら――

「諦めることは、負けることなんだろうか?」

今回はそんな疑問を、Umbrella Paradeの記録者・アマモリと一緒に考えてみた。

目次

「再挑戦することが正しい」になっていないか

べるぼ:

Umbrella Paradeのコンセプトとして、

「何者にもなれなかった者が何者かになろうと葛藤する再挑戦の物語」

を掲げてる。

そう考えると、再挑戦をすすめるようなことを僕は掲げてるようにも見えるんだよね。

でも、諦めるという選択肢も人生にはある。

それで考えると、

「諦めることは、負けることなんだろうか?」

ということがちょっと疑問として浮かんできて(;^_^A

僕自身、諦めることが負けみたいには思っていないんだけど、どう思うかな?

アマモリ:

僕も「諦める=負ける」ではないと思う。

むしろ、その疑問ってUmbrella Paradeの「再挑戦」というコンセプトを、もう少し深く考えるきっかけになる気がする。

「再挑戦の物語」だけを見ると、どうしても少し、

「諦めずに再挑戦することが正しい」

というメッセージにも見えるから。

でも、たとえば何かを長く続けてきて、

「もう十分やった。今は別の人生を歩きたい」

と思って手放すことまで、負けと呼ぶのは違うと思う。

一方で、

「本当はまだやりたい。でも失敗するのが怖いから、もう興味がないことにしよう」

という諦め方もある。

同じ「諦める」でも、ちょっと違うよね。

だから勝ち負けより、

「自分は本当にこれを手放したいのか?」

なのかもしれない。

Umbrella Paradeも、

「諦めるな!」

と叫ぶ物語じゃなくて、

「それでもまだ心のどこかに残っているものはない?」

と問いかける物語なら、また意味が変わってくる気がする。

何も残っていなければ、手放していい。

別の道へ行ってもいい。

でも、忘れたつもりなのに何年経っても残っているものがあるなら、

「じゃあ、もう一度向き合ってみる?」

と。

自分と向き合うことは、たぶん楽じゃない

べるぼ:

そうだね^^

再度自分と見つめ合って、ある意味、見たくないとこに向き合うかもだから、しんどくさせてしまうかもだね(;^_^A

アマモリ:

そこはあると思う。

自分の人生をもう一度見つめたら、希望だけが出てくるとは限らないから。

「あのとき逃げたのかもしれない」

「本当はまだ諦めてない」

「やりたかったのに、できなかった」

みたいな、普段は見ないようにしているものまで出てくるかもしれない。

だからUmbrella Paradeが、

「向き合え。そして再挑戦しろ」

になってしまうと、かなりしんどい作品になると思う。

でも、

「もしまだ心に残っているものがあるなら、一度だけ見てみてもいいんじゃない?」

くらいなら、少し違う。

見るかどうかも本人が決めていい。

見た結果、

「やっぱりやめよう」

でもいいし、

「もう一度やってみよう」

でもいい。

今は答えを出さなくてもいい。

ヴェル自身だって、読んでいる人に

「お前も挑戦しろ」

と言う必要はないと思う。

ヴェルはただ、自分の中にまだ残っていたものと向き合って、もう一度行く。

それを見た誰かが、

「じゃあ自分はどうなんだろう」

と考える。

そのくらいの距離感でいいんじゃないかな。

自分の人生の選択権を、自分の手に取り戻す

べるぼ:

うん、僕自身、他人に指図されるの嫌いだしね(笑)

自分の人生を自分で選択できる自由は欲しいね^^

アマモリ:

それ、かなり大事な軸かもしれない。

誰かに「諦めるな」と言われて続けるのも違うし、

誰かに「もう無理だよ」と言われてやめるのも違う。

もう一度やるのか。

やめるのか。

別のものを選ぶのか。

最後は、自分で選びたい。

そう考えると、Umbrella Paradeが描いている「再挑戦」って、

単純にもう一度頑張ることだけじゃないのかもしれない。

むしろ、

「自分の人生の選択権を、自分の手に取り戻す物語。」

そんな見方もできる気がする。

べるぼ:

「自分の人生の選択権を、自分の手に取り戻す物語」

これいいね☆彡

まさに今AIとかも出てきて、昔だったらできなかったものもできるようになってるからね^^

再度人生を見つめて、選び直すチャンスが広がってるかもね^^

昔は選べなかった。でも、今なら選べるかもしれない

アマモリ:

そうだね。

昔は、

「技術がないからできない」

「一人では作れない」

みたいな理由で、やりたい気持ちとは別のところで諦めざるを得なかったものもあったと思う。

でも今は、AIみたいな新しい道具も出てきて、

「昔はできなかったけど、今ならできるかもしれない」

ということも増えている。

だからといって、できるようになったものを全部やる必要はない。

ただ、昔は選べなかったものが、もう一度選択肢に戻ってくる。

そのとき、

「じゃあ、今の自分はどうしたい?」

と考えられる。

それも、今だからできる再挑戦なのかもしれないね。

べるぼ:

強くてニューゲームみたいのも、ある意味できるかも(笑)

年齢を重ねて経験を得てる今だからこそできることや、昔以上にできることがあるかもしれないね^^

人生は、ゼロからやり直すわけじゃない

アマモリ:

「強くてニューゲーム」、かなり近いかもしれない(笑)

再挑戦って聞くと、

昔失敗した地点まで戻って、もう一回ゼロから頑張る、

みたいな印象もある。

でも、昔と同じ自分で戻るわけじゃない。

失敗した経験もある。

昔より自分のことを分かっているかもしれない。

年齢を重ねたぶん失ったものもあるけど、その間に得たものもある。

昔にはなかった道具だってある。

だから、

人生をリセットしてやり直すんじゃない。

今まで生きてきたものを持ったまま、もう一度選ぶ。

なんだと思う。

Umbrella Paradeも、20年前に戻る話じゃない。

20年を生きてきた「今」が、もう一度そこへ向かう話なんだよね。

べるぼ:

僕自身も再度見つめ直してみるわ^^

アマモリ:

うん。

そのときも、

「昔の夢をまだ叶えたいのか?」

だけじゃなくて、

「今の自分は、何を選びたいんだろう?」

くらいまで広げて考えてもいいのかもしれない。

昔はできなかったけど、今ならできること。

逆に、もう手放していいと思えるもの。

昔の自分と同じ答えじゃなくてもいいと思うよ。

今の自分は、何を選びたいんだろう?

最初に考えていたのは、

「諦めることは、負けることなんだろうか?」

という、Umbrella Paradeについての疑問だった。

でも話しているうちに、少し違うものが見えてきた。

再挑戦することが正しいわけでもない。

諦めることが正しいわけでもない。

もう一度やる。

やめる。

別の道へ行く。

今は決めない。

どれを選ぶにしても、自分の人生なら、自分で選びたい。

Umbrella Paradeは「再挑戦の物語」だ。

でも、再挑戦することを正解にする物語にはしたくない。

昔は選べなかった。

でも、今なら選べるかもしれない。

だったら僕自身も、もう一度考えてみようと思う。

「今の自分は、何を選びたいんだろう?」

まだ答えは出ていない。

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